大きい、甘い、美しいなどなど、形容詞的な言葉は相対的なもの。その判断は一目見て下せるものもあれば、個人の好みetc.が加わり、主観的なものになることも多い。
そんな中でも、形容詞ではないが、特に主観的要素が大きいと思うものとして、私は「ひさしぶり」を挙げたい。たとえば、「ひさしぶり」に友だちと会う。何をもって「ひさしぶり」かは、会っている頻度に依る。加えて会いたい気持ちにも依る。相手のあることだから、相手が自分にどれくらい会いたがっているかも自分に伝播し、自分の会いたい気持ちが霞んだり、鮮明になったりし、「ひさしぶり」感がぶれる。
今日、数十年来の友人と半年ぶりに会った。困ったときや迷ったときには、ジャジャジャーンのシンバル音も無しに現れて、私を助けてくれる、大事な友だち。だが、いつも半年くらい間が開き、長い時は1,2年会わないこともある。なので、「ひさしぶり」感はなし。付き合いも長いので、家族臭がして、それも一因。今回は会う理由も、必ず!ってわけでもなく、会いたい気持ちも通常レベル(ゴメン、お互い様?)
いつものように、最近の仕事のこと、お互いの家のことを語り合って、ご飯して、お茶して。
いつものように、が大事。
前回の『久しぶりの夢』の「久しぶり」はおそらく、年単位。